天の羽衣

むかし むかし 駿河の国の三保の松原に白龍という若い漁師がいました。
ある日、白龍はいつものように釣り竿をもって海辺に出かけました。
風も心地よく 波も静かな日でした。
「いい朝(あさ)だなあ」
浜辺を歩いていると あたりいっぱい いい香りが漂っています。
白龍は不思議に思って、周りを見渡してみました。
「んん あれは 何だろう」
よく見ると、松の枝に なにやら 美しいふわふわとしたものが かかっていました。
近寄ってみると、色も匂いも不思議な羽のように柔(やわ)らかい布でした。
「これは 今まで みたことねえきれいな布じゃ持って帰って 家の宝にしよう」
白龍は、その布を枝から取って帰ろうとしました。
「それは わたくしのものでございます」
白龍が振り返ってみると美しい女の人が立っていました。
「これは おらが拾ったもんだ。」
「いいえ それは私がそこにかけておいたものです。
三保の松原があまりにもよいところなので、衣を枝にかけて歩いていたのです。」
「いいや おらがひろったんだ。おらのもんだ」
「それは 天女の羽衣といって、人間には用のないものです。」
「私は、それがないと天の国へ帰れません。どうかお願いですからお返し下さい。」
女の人は、しくしく泣き出しました。
「そんなら、あんたは 天女か・・・」
「はい そうです。その羽衣がないと 私は、空にのぼることができません。天にも帰れません。
どうか どうか お願いですからお返しください。」
天女は、何度も何度も白龍にお願いしました。
白龍は、泣いている天女をみてだんだん かわいそうになりました。
「あんたが悲しんでると、おらまで悲しくなる。そんならこの羽衣をあんたに返してやろう。」
「返して下さるのですか?」
天女の顔が、ぱっと輝きました。
喜ぶ天女に、白龍は言いました。
「ただ この羽衣を返す代わりに、おら 天女の舞を観てみたい。」
「わかりました。それではお礼に舞を舞いましょう。でも、その羽衣がなければ、
私は舞うことができません。どうか、その衣をお返し下さい。」
それを聞いて、白龍は 少し怒ったように言いました。
「いや この衣を返したら、あんたは、おらに舞を見せずに そのまま 天に帰ってしまうつもりじゃろ。」
「きっと、そうに決まっとる。」
天女は、寂しそうな顔で静かに答えました。
「いいえ、そんなことはありません。
そういう疑いや 嘘は 人間の中にあるだけです。天には、偽りというものが ありません。」
白龍は、天女のことを疑っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
そして、
「恥ずかしいことを いうてしもうた。許してくれ。」
と言って、天女に羽衣を返しました。
天女は、羽衣を身につけると、軽やかに舞い始めました。
衣の袖は、ひるがえるたび キラキラと不思議な色に 変わります。
右に左に舞う 美しい 天女の姿を、白龍はうっとりと見上げていました。
いい香りもしてきました。
天女は 海辺の風に たなびきながら
だんだん高く上がっていきました。
やがて 大空高く 天の霞にまぎれて
天女の姿は消えていきました。